非言語コミュニケーション・講座で必ず話します

香川県高松市マンツーマンアロマサロン・スクールAromatico~アロマティコ~高嶋です。今回は、非言語コミュニケーションについて書きたいと思います。

アロマハンドの講座や、オリジナル講座では、必ず伝えている「非言語コミュニケーション」。実は誰でも毎日使っているコミュニケーションツール。良くも悪くも、非言語であるがゆえに、強く残るもの。どうしてこれを話すのか?を書いてみました。非言語コミュニケーションを知る、使うという事は、まず言語のコミュニケーションをちゃんと使ってこそなんです。

私が非言語コミュニケーションについて話す理由

理由1
ちゃんと使って欲しいから

無意識に使う事が多い。みんな毎日いつでも使っている。それを意識して使うことで、役に立つことが沢山ある。

理由2
この方法は愛情を伝える時にのみ使って欲しいから。

例えばモノの置き方、視線、触り方・・・・ネガティブにもポジティブにも使える。でも、出来たらポジティブに愛情を伝えたい時に利用して欲しい。自分もまだまだちゃんとできていないけど、努力する事で日々の動きも変わると思うんだ。

要は
自分の都合で使って欲しくないんだ。
口に出さないくせに
「ちゃんと言わなくても伝わるだろう。」
「言わなくても分かれよ!」
と、訴える。

そうじゃないだろう、このコミュニケーションは
頑張れとか言えない相手に何かしたい・・・と思う時、
「心配、大丈夫?」という状態の相手のそばに居たい時、
そんな時に使うもんだと思うんだよ。

場合によって、思った以上に強く伝わってしまうこの方法は、
時として相手を傷つけるからね。

ただし使い方によっては、大事な人にやさしくじわじわと伝わる。

私は両方をよく知っている。
だからこそ香りの仕事をしている私は、
このコミュニケーション方法についてちゃんと伝えておきたい。

例えば視線の使い方

眼差しという言葉があるじゃない?
鋭い方じゃないよ、くれぐれも見守る方の眼差しね。
これは良い非言語のコミュニケーションツールだよね。

言いたいけど言えない、言っちゃいけない場面で
大丈夫?/頑張れ!
を伝える時
に使う。

正しい眼差しの使い方はこれじゃないか?と思うんだよ。

好き?とか、怒ってる?とかは、目で聞かれても分からんよね。
そして、同時に勝手に解釈されても困るよね。
これは想像しても仕方ない事。
不安になるくらいなら聞くしかない。

黙りなさい/早くやりなさい/もっと頑張りなさい/
これも言葉に出せば嫌な空気になる
から視線を使いがち

言うと角が立つから、違うものを使うと
視線、語調、呼吸、手の力、足音にでちゃう。
想像が働くから、へたすりゃ言葉以上にキツイメッセージになる。

じゃ、どうすればいいの?と聞かれたら
言葉に正直に出すしかないわけで
「ごめん、急いでいるから私にさせてね」
「大きな声出していい場所に移動しよう!」
「わかった、ゆっくりやっていいよ(遅れる覚悟を決めて)」
「(もっと頑張ってよと思った時は)自分がサポート出来る事は○○。必要なら言ってね」


こんなところかな。
うわ~きれいごとに聞こえますね(笑)
こんな風に、穏やかに言えたら苦労しないよね。私は怒鳴り散らかして、たくさん失敗したよ。自分の心も、相手の心もささくれ立たせてしまったの。穏やかに言うコツはね「言いたいことは自分の欲かどうか」「今自分はゼロに居るかどうか」だね。ホリスティックに物事がみられたら出来るはず。うん。出来るはず。

口出しにくい言葉

じゃさ、今度はこれはどうでしょう。
ごめんね/大丈夫だよ/大好きだよ/ありがとう/
言葉にしたら恥ずかしいやつ。

最初に説明した
「ちゃんと言わなくても伝わるだろう」
「言わなくても分かれよ」
と、自分の都合で、言ったつもりにしがちな言葉たち。

そりゃ何十年一緒にいれば、伝わる事も・・・ある。
でも、やっぱりお互いの想像でしかないわけで、

相手のさっきの視線(態度)は
「(ありがとう、ごめん、とは言われていないけど)言ってくれたのと同じことにしよう」
って思う事しか出来なくて、結局のところ本心の確認は出来ないやつ。

誤解の原因て、このあたりからじゃない?
非言語のコミュニケーション、良い事ばかりじゃないよね。

やっぱり言葉をちゃんと使う

自分は口下手だからいちいち言わないけど
相手からはちゃんと言葉で言われたい。とかさ、
そんなことは許されない。

いちいちそんな事言えるか・・・
自分、不器用な男なんで・・・みたいな話とは違う
(何時代の話しだっつーの)

私は何かしてもらったら
比較的ちゃんと言う様にしている方だと思う。
過去の失敗から、意識してそうするようにしているから。

ほんとね「感謝」「愛」って伝わらなかったら困るよ?何かしても感謝を言わない人には、だんだん相手も言わなくなるよね。そして関りが薄くなる。そもそも感謝を期待して何かするわけじゃないけど、伝わらないってことは言ってないのと同じ。相手が「ありがとう」と思わないのなら、もうしない、と思う事、私はあるよ。もしくは、悪いけど、君は後回し・・・とか。

どうでもいい人ならいいけれど、大事な人に「分かってくれていただろう」なんて、相手任せな無責任な伝え方は良くない。何の為に口があるんだ?何のために言葉を学んだんだ?って話だよ。SNSするためじゃないだろうよ。伝わらなかったら大変なので、私は言う。いいことはもちろん、イヤな事もできるだけ伝える。恥ずかしいけど、頑張って「楽しかった」とか「ありがとう」って言うよ。


<ここで、ちょっとエピソード話を>
私は父に「ごめんとありがとう」は言われた記憶がほとんどない。そのまま亡くなったので私の中にはモヤモヤが残るけれど「父は、ごめんもありがとうも、思っていなかったんだ」と決めた。確認しようも無い事に、淡い期待を持って生きるより、振り切って次に行くことにした。母は、そんなことないと言うけれど、人のフィルター通して伝えようなんて甘い。

そして、私は自分の大事な人には「ごめん」と「ありがとう」「大好きだ」は伝えなきゃいけない、それを父から学ばせてもらった。そう思う事で「言われなかった」ことのモヤモヤは結構薄れた。そう、だからね、死ぬ前にちゃんと伝えた方が良いよ。恥ずかしいなら言わなくていいけどさ、きっと伝わったはずなんて相手に甘えるなよ?って思うんだ。伝わらなかったとしてそれは相手のせいじゃない、自分が言わないって決めたんだよ。

あ、ちなみに死ぬ前って、今日、今の事だよ。毎日が今が死ぬ前だからね。ううう、ってなった時じゃないからね。

で、最後にガミガミを黙る方法

ガミガミいうのを止めようと思うのであれば、
そのガミガミは「自分の欲」なのか「本当に相手の為」なのかを、ちょっと考えてみる。

「なんでガミガミを止めようと思うのか」言う代わりにどういう方法でそれを伝えるのか。

私的には経験上、許容範囲のポイント●を大きくすればうまくいくと思っている。自分の「ねばならぬ」という小さい●を広げる。それだけ。自己欲だと広げられないけど、相手を想う時は、良い落としどころを見つようと思うので、意外と許容範囲は自由に動かせる。

これね私さ、ものすごくいいお母さんみたいなことを言ってるけど、そうじゃない事をたくさんして、失敗したから言っているんだよ。「欲」を「しつけ」「貴女の為」とすり替えてガミガミ言い続けて失敗した。子供の方が許容範囲を広げてくれたから、どうにか家族で居られたんではないか?と思う。振り返ってみても、あのままだったらどうなっていたんだろうとぞっとするよ。

さ、非言語コミュニケーションを知るという事は、言語のコミュニケーションをちゃんと使ってこそという事が伝わったかな。

次回は、上手に使う非言語コミュニケーションについて話そうと思います。じゃ、またね。

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