論破したい人と話すのは大変~例えば精油~

くれぐれも個人の価値観です。
そして私自信が「相手の考えを論破しない」と気を付けているという話し。

お客様の中にはいろんな方が居て、純粋にトリートメントやレッスンを受けに来る方もいれば「市場調査」「販路拡大営業」で来る方もいらっしゃる。

講座の時も、私が伝える事がないくらい知識も経験もあるなあと思えば「どうして高嶋さんは○○の資格を取らないのか」と質問を受け、それは全然いいのだけれど「良かったら、私のセミナーを受けませんか?」と逆に勧められることもあって「営業かい!!」と思う事もあった。

ただ嫌な気持ちは実は全くしない。それなら最初からそう言ってくださればよかったのに・・・お互い時間が無駄だぜと思う。

私は質問は大歓迎だし、自分の価値観を正直に答えるけれど、困るのは「相手は私の価値観を聞きたいわけじゃなくて、その答えをたたき台に、何か営業的な事をしゃべろうとしている」という様子が取れた時。うん、すごく困る。

だって私の話しは必要なくて、結局論破して、買わせたい、コチラの商品が良いと認めさせたいという人と時間をすごさなければならない。お金を頂いているのでもちろん真面目に聞くし、ちゃんと答える(応える)けど。

上手に答えないと面倒な事になる質問

<質問の例>
①精油を買う時の基準は?
②どこのメーカーとか、決めている?
③どうして○○(ネットワークビジネス系メーカー)の精油は使わないの?高いから使わないの?

一言で答えるのが難しい質問。でもすごくいい質問。その為に講座をしているんだもの。良い精油に出会って欲しい、ひとつのものにこだわるような狭い探し方をして欲しくないと思って真面目に答える。

<答えるとしたら>
①真面目に作られている精油で、香りが好きなもの。HPが分かりやすく、嘘がないもの。農業の匂いや愛を感じるもの。真面目とは、嘘やごまかしが無いという事。オーガニックで無くても良い、合成添加物入っているならそれでもいい(選ばないけど)正直にそれを書いていていること。
②決めていない。
③ネットワークビジネス系のものは絶対に買わない。精油がどんなに良くても買わない。ビジネスという事で、精油を大量に使う使い方を紹介しているから。

そこのメーカの精油は、商品として高品質だしいいと思う。高くても品質が良ければいい。その利益が生産者さんや、作業している人に行くならいい。でもそのお金は「精油をたくさん売った人に行くシステムになっていて、精油をたくさん売る事が目的」になっているのが気に入らない。

精油はたくさん使うのが良いわけじゃない。使い方をひろめる人は、その利用方法の塩梅の取り方を教えるのが役目だと思っている。そもそも自然療法にネットワークビジネスを持ち込み、目的がブレテいるのが嫌い。私は、その会社商品を勧めたいわけじゃなくて「純粋に自然療法のひとつのアロマテラピーの、その不思議や、有効なことがあるんだよ、を真面目に伝えていきたい」

論破したい人とは、戦わないことにしている

自分に良い様に、会話を捻じ曲げる。そして論破して納得させる。こんな人とは真面目に喋らない。早く終わる様に作戦をjプランBに変更する(笑)

私の講座は、私の価値観で進めている部分がある。むしろそれを聞きに来てくれているわけなので、はっきりと「一般的な部分(テキストに載っている)」と「たくさんの経験と学んだことの中で見つけた矛盾、疑問、私が思う自分内rの基準」を話す。

すると生徒さんによっては、意見が合わずに「なぜ?」「はて?」と思う人も居るだろう。そんなときの質問は大歓迎だ。相手の基準(価値観)も正解のひとつだから、そこのすり合わせをするために質問は大歓迎。

「自然と人の組み合わせの数だけ正解があり、その中から自分に合うものを見つける」と思っているからね。

だけどそこをどうにか説明をしたいのだけれど「私の考えが一番」と思う相手「聞く耳、考える余裕」の頭が無い人に説明するのは難しい。相手がどうしても論破し「そうか、それが合ってるね」と同意見にさせたい人だとすごくストレスだ。そんな時は私は「そうか、それも答えのひとつかもね」しか言えなくて、それが落としどころになる。

精油の定義とは

協会ごとに定義がある。メーカーごとにも定義がある。医薬品ではないので、法律的な定義は、ない。

日本において精油は雑貨扱い。だから、精油もよくよく見ると「食品添加物」とある事もあるし、芳香蒸留水は「化粧品」扱いになっていることもある。そこをアピールして、商品を売るメーカーもある(それは良いんだよ)。

なのでよく読んで自分の価値観と合わせたらいい。その為にみんな勉強している。
精油に限らず、買うものはそうやって調べて買うと、「あれ?」っていう間違いは起きにくい。

人間でいえば、それは価値観とでも言うのだろう。私の定義はこれです、を強く持っているとととても生きやすい。もちろんこの定義(価値観)は、出会うものや人によって、情報を得るたびに良い様に変わって行くけれど、頑固、へんくつ、とならずに素直に人の話を聴き、自分に取り入れ、日々いいものになる事が理想だ。

だから嫌な事や人に会うのは歓迎する。自分の価値観の確認や見直しが出来るチャンスになるからね。

おっと話がそれた。

精油の定義は植物から抽出されたもので、天然で、混ぜ物がなくて、高濃度で、揮発性で・・・と、色々出てくる。「いやいやそれって当然でしょう」と、精油が出来るまでの行程を知っていると、疑いようなく当然に思う。

だけど実際、精油と謳っていても、合成香料が混ざっているものにであう。”認証を取った精油”と言っていても、その中身の原料の精油の部分はオーガニックという事だったという、よくわからない事が実際にある。

ややこしい・・・・、うん実にややこしい。
でもたくさんのメーカーのサイトを見て、実際に取り寄せて嗅いでいくと「う~~~ん」て思う事が時々ある。結局それで確認するしかないんだろう。食べものと一緒だ。最後は食べた人が美味しい、これでいいと思えばそれでいいんだ。

騙された方(自分)の経験、見抜く目が未熟だったという事だ。騙す方が悪いとどんなに叫んだところで、法を犯していなければそれを裁く権利は誰にもない。選ばないという選択しかないわけだ。

だからそこ言葉(勉強や知識の取得)も大事だけど、感覚も大事なんだよ。あるじゃん?「理由は分からないけど、なんかイヤな気がする」これだわ。

逆に、説明は薄いけど、何科良い気がするとか。森に行って、そこの地元で売っている精油を嗅ぐと「うん繋がってる」みたいな感覚。

では、私の使う精油は

プラナロム、フロリハナ、ARTQ、H&T、YUICA、六月八日、一十八日、開聞岳香料園、松山油脂(山神薬草園)、その他にフランスの友人に送ってもらう南仏の精油、産地や作っている人が分かっているものなど、色々。

時々、勉強会の為にすごく安い精油を買ってみたり、すごく高い精油を買ってみたりすることもある。

講座や勉強会では、こういう精油をたくさん一緒に嗅いで、ブレンドして、調べて、意見を交わして、私やみんなで「私の定義、価値観」を確立していっています。

これはどの講座でも、そうしています。

どうぞいつでも学びに来てくださいね。資格取得、個人利用、なんでも対応しています。

結局私が望むのは、正しいものが正しく売られて、それが適正価格で取引されてみんなが幸せになるという事。その中で、誰も騙されることなく、今あるもので足りる知恵や、あるもので心の満足を持つゆとりだ。

論破されない為にできるのは

勉強して(SNSではなく、本、学校で学ぶ)
経験する(五感を使って得た感覚であること)
自分の定義、価値観を確立するためにも


人の話を静かにまじめに聴く
自分の価値観を話す時は、責任をもって話す


小さいころ、人に言いくるめられて育っているもんだから・・・・(自分の責任を取らずに生きて来たとも言う)どうやったら分かってもらえたんだろうと、心の中で色んな事を考えていた。親に何かをお願いする時も、反対されたり、怒られたりするのを想定して、360度観察して言葉を考えた。

いじめられない様にするために、どうしたら目立たなくなるか、どうしたら間違わないで失敗しないで過ごせるかばかり考え、みんなの心の中を想像して、クラスやグループの、発言した人、聞いている人の顔を見て観察してばかりいた。

おかげですごく空気を読んだり、上司や先生に空かれる技を身に着けてしまった。でも後に、今もこれがすごく役に立っている。

ここまで色々、こんなに重たく考える必要はないかもしれないけど、場の空気をつかんで上手に話しをする人はみんなこの技を持っている気がする。

子育てに失敗した時は、上記の黒い太線文字の特に下から2つが出来ていなくて、自分が一番よく知っているという前提で話して、反論されたら逆切れして、子供の方が間違っていると怒鳴っていた。あ、また話し反れちゃった。

反論は喧嘩になってはもったいない。もう一つの正解が隠れていると考える。そうするとお互いにいいものが得られると言いたいんだ。

「イヤイヤ高嶋さん、そうじゃないんですよ」と反対意見を言われること、私は嫌いじゃない。むしろ好き(笑)でも、その人が良い経験をしながら、豊かな人生を歩んでいそうなら説得力がある。反論は別名「教えてくれている」とも言うからね。

だけどその人が、エアコンのきいた狭い部屋で、スマホ、またはパソコンの画面を見つめ続け、誰かのコンテンツだけの知識を持って、延々となんでもかんでも反論して来たら私はブチ切れるぞ。もちろんそれが法律やルールなら「知識不足でした。教えてくれてありがとう」というけど「価値観」の話しならブチ切れる。

私もパソコン中心の生活だ。SNSもする、動画のコンテンツも作ろうとしている、だけどそれは経験してみたい、知りたい、と思う人になるべく多くの人に届けるための仕事をしたいからだ。または経験した人がきっと「あれ?」と思った時に役に立つ事を届けるための仕事をしたいからだ。

人に「で、あなたは」と聞かれた時にちゃんと答えられるものを持っていたら述べられる意見を持っている。

尊敬する人に言われたことがある、その違いは「自分の為にやっていること」なのか「人の為にやっていること」なのかだよね、って。結局自分に戻って来るけど、まずは誰かの為に、人の為に・・・・が底にあるかないか?だよね、って。

本当にそうだ。論破も説得も、論じている自分が気持ちいいか、本当に相手の幸せの為なのか、そこだな。

このブログも最後まで読んでくれた人が「論破された」と思うか「なるほど、そういう考えいいね」と思うか心配だけど、私はいつも反論されたら、論破されそうなになったら、こんなことを思っているんだよを語ってみました。

今日も長い話を聴いてくれてありがとう。



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