子供に「プレゼン」という方法を勧める
こんにちは、香川県高松市マンツーマンアロマサロン・スクールAromatico~アロマティコ~高嶋です。今日は、時々聞かれる「子供のプレゼン」事をお伝えをします。
「高嶋家では、おねだりはプレゼンでしてもらっていた」という事なんだけど、これ本当に素晴らしい家族会議システムだと思うの(笑)
自分でも、やりたいことが浮かんだら、自分に自分でプレゼンするといいんだよ。それをやる(買う、行く)価値があるかどうか?客観的に分かるからね。
私はプレゼンの思考癖があって(癖なんかい!)、贅沢品に手を出す時、友達と意見が合わなくて意見する時、そんな時に役に立つ。意見が違う人と議論する時は特に役立つし、自分の講座やトリートメントの値段を上げる時なんかは何度も何度も自分にプレゼンした。「値段上げて大丈夫かな、理由あってるかな」って。ほんと考えたら自営なんて、ほぼ毎日誰かにプレゼンしている気がする。
あ、話しは長いからね。時間がある時に読んでくださいね。
それと、2022年に投稿した「怒りのセルフコントロール」も、もし良かったら合わせてお読みください。
目次
「ダメ」と言う母親の本当の理由は・・・
のっけから自分の話しで申し訳ありませんが、「ね~ね~アレ買って欲しい~」とか「みんなが行くんだからいいでしょ~」とか、子供に何かねだられると無条件に「ダメ」と言うくせがあった(笑)
こどもの要求にはひとまず立ちはだかって「そんな何でもかんでも、自分の思い通りにならないことを教えないと」「苦労させないと」と思ったりした。え?みんなも?
でもさ、よくよく考えて見ると、確かに何でもホイホイ与えるのは良くないけれど、ホイホイなのか、そうじゃないのか、それはともかくNoと言っていた、その本当の理由は別のところにあったんだよね。
実のところ「連れて行くのが面倒」「一緒に行くママが苦手」「他の事をしたい」「お金に余裕がない」と言うのが本当のところ。(このブログを子供が読んだら・・・ほ~れごらんよ、そうだったんじゃんか!って思うと思う。)
皆がどうかはともかく私はそういう時があった。それを「しつけ」とか「思い通りならないこともある、という教え」と称して子供に我慢させた。そして自分(親)の好きなモノ、良いと思うものを、自分のタイミングで与えた。
ホント子供からすると親の顔色見て、タイミング計って「おねだり」しないといけない感じになる。与えてもらえるかどうか?の基準が「機嫌によって変わる」なんておかしな話だ。結局大事な事は伝わらない。また、そういう大人に育ててもいけない。
→お金が無い事に関しては、ちゃんと子供に言えばいいんだよね。それこそ生きたお金の教育だと思う。大人がみんなお金持ちではない。これ、進学の時にあからさまになる。そもそもお金持ちの基準なんて曖昧なんだけどね。そして、お金はどうにもならないけど、その代わりの楽しい事を提案したり、一緒に考えてもらえばいいだけなんだよね。
→面倒に関しては、親の興味の無さ、代案の無さ、腰の重さは、子供の経験値に大きく作用することを考えた方が良い。しつけと称して動かないという事が、後に「え~面倒~」っていう子になる・・・ならないかもしれないけど、そこに事に繋がる可能性があると思った方が良い。もしくは子供が自分で動けるようになった時には、腰の重い親はお荷物だから置いてけぼりになる。その時になってグダグダ言わない覚悟で「面倒」と言えと思う。
子供のプレゼンを聞く前に、自分のレベルを自覚する
「高嶋家の色々物語」を経て、私が少しだけ賢くなり、旦那の収入も上がったころ、高嶋家は全員がレベルアップした。そろって賢くなった。
くれぐれもお金は、絶対の一番では無い。でも、有るのと無いのでは選べる範囲が全然変わる。もしお金が無い場合は、頭と経験を使えば、どうにかなることを知っているのは大事だ。決して羨んだり、奪ったりしてはいけない。そういう癖をつけると、いくら稼いでも、貧しい気持ちのままで生きる事になる。
その事に、子供の前に自分が気付いているか?が一番大事なんだけど、そこは大丈夫だろうか?子供のプレゼンばなしの前に、プレゼンをする相手によって結果も変わって来る。相手が求めるものが何か?でプレゼン内容は変わるからだ。
また、自分(親)がお金持ちだと勘違いしてもいけない。お金を出してやる、という上から目線で聞いてはいけない。何かを手に入れて自慢するのは「そのレベル」という事を披露するようなもの。くれぐれも、誰かに自慢するために何かを手に入れるなら、やめた方が良い。もしも結果、(自分的に)高価なモノを手に入れたと思ったら、それに見合う自分かどうか?を心配する方が良いと思う。
もしも子供にエルメスのバーキンが欲しいとプレゼンされたら?と、他人に聞かれたことがあって「なんてバカバカしい質問」と思ったことがる。でも、ああ、なるほどなぁ、そういう子供もいるかもしれない、ゲームを買ってというのとエルメスが変わっただけだ。
ちなみに子供らはブランドものはみんな自分で身の丈に合ったものを、少しずつ自分で買っている。または記念日に誰かに買ってもらっているようだ。
ああ話が反れた。たぶん子供たちは昔から夫のおかげで偏差値も雑学もあり賢かった。ただ私のレベルが低く、世間と自分を比べて安心する人間だった。
母親が賢くなるって本当に大事なんだと思う。賢いとは、偏差値とか他者に与える影響力とか、そういうんじゃなくて自分の中の問題。俯瞰視力、人間力、生きヂカラみたいなもの。不安にならない、人と比べないチカラ。感情をコントロールして、落ち着いて説明が出来きるチカラ。語彙力など。
その頃に「プレゼンがいいらしい」と聞いて、させていたら、きっと今の子供たちの価値観は違うものになっていたと思う。
子供が大金を得る方法は
お金を得るには2つの方法がある。一つはお小遣い。もう一つは投資してもらう(ねだってどうにかする)。
前者は小さいお金だけど、こつこつ貯めて、時にはお年玉の様な臨時収入も入れてとにかく使わず貯める。後者が今回のテーマ。溜まるまで待つっていては間に合わない場合に投資してもらう。チャンス、時間、興味とエネルギー(体力)は有る、お金だけない、って時にプレゼンをして投資してもらう。
投資なので途中経過の報告も必要になる。
もちろん無理なら手を出さないという考えも正しいと思う(昔はそう言われて育った)。でも今はクラファンとか、銀行に借りる方法もあるわけで、小さいうちにそれを知っている事は損にはならない。親を相手に行動すればいいわけだ。
親も無理をしないで出せる分で良いと思う。その後は工夫してもらって楽しんでもらえばいい。自分の生活を脅かしてまで出す事は出来ない。それを伝えるのも大事(なのでウチは年1回、株主総会みたいな、家族会議をする)
お金も無いのに、やる必要ない、分不相応だ、と言ってしまえばそれまでで、その悔しさを胸に頑張る方法もあるだろう。だけどどう考えても「今だ」と、思ったのなら経験を与えてやりたい。失敗したっていい。「今だ、今しかない」というチャンスを見極め、飛び込む勇気を行動に移す経験を与えたい。
ちなみに「ねだってどうにかする」は幼い子であれば祖父母、両親、にどうにかするかもしれない。可愛くおねだりすると、こちらもつい・・・は、今でも買ってやりたくはなる(笑)それが、もはや冗談みたいなものだから、もう買ってはやれないんだけど。
このねだってどうにかするという幼い子のやり方は、大きくなってやれば「パパ活」なのだろうと思う。この方法しか知らないと、たぶんとんでもないことになる。幼い子でいられるのは、いつまでなのか。それが無くなったら、どうするのか。
なので「ねだればどうにかなる」を身に付けさせない為に、大人のやり方を小さい時から一緒に考えるのが大事だと思う。
結局それで本人は何が得られるのか
そして勇気を出してプレゼンして、認められて、行動すると、どんな事が起きるのか?それはリアルの五感の経験だ。バーチャルな世界よりすごい事が起きる。良い事ばかりじゃない。予想外の痛手、本当の飢餓状態を味わう事もあるかもしれない。そしてそれをどうすればいいのかを考えないといけない。
時には人に頭を下げ、くやしさをガマンしないといけないかもしれない。みじめで理不尽な事も有る。危険でヤバい人に会う事もあるかもしれない。そうするうちに「危険察知能力」「野生の感」が磨かれて「一緒にいたくない」とか「私はNOです!」が言える様になるわけだ。(いや、何を経験させているんだ?って(笑))そんな親の予想も超えるような(嫌な事も含めて)経験をたくさんしてくれる方がずっといい、リアルを生きる方がずっといいと思っている。
※ちなみにくれぐれも命に係わる危険は避ける様にとは伝えてあります。特に海外。下調べをすごくしています。怪しいモノを見分るチカラを付ける様に伝えてあります。最後はリアルに行動しなければ何が危険で怪しいか分かりません。本やサイトには限界があり、命さえあれば「次は気を付けよう」が出来ます。
とにかく「やってみたい事」を諦めるのはもったいない、とにかく今やってみたい、そういうチャンスがあれば言って欲しいと伝えます。成功するかどうかなんてどうでもいいし、そもそも何が成功か?なんて実は誰にも分からない。むしろ、その過程にこそ大事なものが隠れている事が多いと思っている。
なんでそんな自信満々に言えるのか
提案に対して投資するかどうかは、こちらが決めるわけだけど、それだってコチラの経験や知識、腹のくくりも問われる。旅先や職業であれば、一歩間違えば命を取られるわけで。何か起きれば責任も取る覚悟も要るわけで、それを踏まえてOKという、私ら夫婦が持っているもの・・・
- やって失敗してもその経験がデータになる事を知っている
- 考えたことを行動に移して、思った以上の成功を得たことがある。
- やったからこそ、自分に合わないものを把握している。
- ハプニング(危険)への対応力は、準備次第と知っている。
- 遠くてヘンピででも素敵な場所がある事を知っている
- これだと思ったら直ぐに行動できる腰の軽さがある。
- 起きた事の責任は、最終的にはそれを選んだ自分にある事を自覚している。
これは、私ら夫婦が持っていてよかったと思う知恵や経験であり子供にも伝えたい事。でも、これは「お話し」では伝わらない事なんだわ。だから「これやりたい」「こうしてみようと思う」と言ってくれた時は「おお?よっしゃよかった、なんだなんだ、やってこ~い!」となる。
色々質問して、提案もして、「私らはこう思う」「ここまでは協力できる」を伝えたうえで後は任せてみる。そして「何かあっても、1人じゃない事は忘れんでね。」「体に気を付けてね」「危険と思ったら、引け」を伝えてある。(だから一体なにをさせているんだって感じよね)
投資の見返り、親が得られるもの
投資と言うことは、ハイリスクハイリターンで、良ければ何かしらのバックがある。無いかもしれない。
一番のバックは、子供の「一人で生きていけるチカラ」「困っても解決できるチカラ」そんな事だろう。やってみてどうだったかの話を聞く楽しい時間も、見せてもらう写真もバックだ。そして安心して死ねるなぁという安心感、それもバックだ。
親以外に、ある意味親以上に頼れる人は周りにたくさんいて、もし何かあっても決して一人じゃない事を知る事これもバック。うん、こう並べると、やっぱりなかなかいい投資話だ。
ちなみに、プレゼンはただ、ウンウンと聞くだけじゃない。どれだけ準備しているのか?確認をする。
旅の場合であれば行程表の提出を求める。何かあれば行かないといけないし。もちろんこちらの不安要素も質問する。危険な所に行かないか?泊まるところは大丈夫か。お金で安全を買う事も前提に計画されているか確認するし助言する。
「危険は避けること」というのは、旅以外、生活全般、ウチの決まり事だ。他の人から見るとウチは「まあまあ冒険している」ように見えるそうだが、私から言えば「テレビやネットしか見ない、何処にも行かない何もしない人こそ何を根拠に安全、危険を見極めるんだ?」と思う。
(動かない代わりに、見えるもの以外は信用しない、人の上手い話しは信用しない、と言うのはOKだと思う。)
エピソード1
免許取りたての長女が「車を買って欲しい」と言った。きっとすごくたくさんの中から車を探したんだろうと分かる、正直良く探したなといういい車を探して来てプレゼンしてきた。最初に私に相談があった。車を買うまで貯めてたら、何年もかかる。ローンを組む事も出来ない。なので、一端パパに買ってもらって、返済したい、と。
私が一緒に考えたのは、車には駐車場代、保険代、車検代、などの維持費がかかるので、それと車をいれて計算して、何回払いで月いくらで返せるか?を考えてプレゼンしたら?と。
その時彼女は働いていたので、自分の収入を見てそれを踏まえて自分で作ってきた。そして車は夫が一緒に買いに行った。そこから支払いが始まった。もちろん10代の子、払える時もあれば、払えない時もあった(笑)それは想定内。でも、それでもいいと思った。これがローン会社ならどうなるのか考えたり、きっと大丈夫払えるはずと思っても、そうじゃない事も有る事がわかった。借りたお金を返さないとその後、どんなことなってしまうだろうか、そんなことの勉強になった。
払えないじゃないか!と、頭ごなしに怒るのは簡単だけど、そこから何も生まれない。今後の人生そういうローンを組んだり、クレジットで買ったり、人にお金を貸したり、借りたり、それがどういうことなのか考えた方が役に立つと思った。
車をこすって修理代が必要になった時は、夫はお金を出さずに「自分で修理が出来る範囲でどうぞ」と言って、出さなかった。修理工場の人はその事情を聞いて、そのお金の範囲で出来る限り目立たなく(笑)してくれた。こするような運転をしない事、事故じゃなくてよかったこと、そんな事を話すいいきっかけになった。そして頑張っている子には、大人は優しい事も知った。
お互いの価値観のすり合わせ
子供は、むやみやたらに「欲しい」「やりたい」と言うことは無いと思う。みんなが・・・と、ただ単純に「あれが欲しい」と思い、それでもウチにどれだけのお金がありそうなのか、考えて、そのうえで言ってきているんだと思う。
親がどういうものにお金を払っているのか?普段何を大事に生きているか見て、買ってくれそうか怒られるのか、きっと計っていると思う。プレゼンの時だってそれが出てくる。ちゃんと親のお財布を心配しているはずなんだ。そして、もっとお金持ちだったら、あの家の子だったら・・・とかも思っているかもしれなくて、そんな色んな湧き出る気持も大事だと思うんだ。
つまり、子供がしてくるプレゼン(おねだり)は、それそのものが自分の(親の)行動の結果で、そこからどんな話し合いをするかが大事なのだと思う。最初からいいプレゼンをする子供はいないと思う。
あれ買って、これ買って、というおねだりがあり、親も「そんなもの要らない」「贅沢だ」と反対する。そして喧嘩になって・・・・とその過程は必要、普通に起きる。
だけど、よく考えてみて。親も大概不必要なものを買いまくってその果てに「要らんかった」と気付く事が多いハズなんだ。そこ子供も知っていると思う「自分は好きなモノ買ってるじゃん」て。
大人は稼いでいるからいいんだ、は理由にならない。それなら学校行かずに働けばいいという事になる。学校行くのが子供の仕事なら、それに対してお金を払うのか?と思われても仕方ない。
成績が良ければ払うというなら、親の作った食事が手抜きなら文句を言っていいのか?となる。私は交換条件は好きじゃない。勉強をそんなことに使ってはいけない。また、そんな冷たい言葉のやり取りは、何も生まず、ひたすら無駄だ。
喧嘩や言い合いは、お互い温かい気持ちになる結果を探す為のものでなければならない、と思っている。子供にも行った言葉だが、喧嘩はコミュニケーションツールのひとつだ。
結局「そんなもの要らないでしょ」と子供に言う本当の理由のほとんどは、一番最初に書いた「今月の余裕がない」「そういうものが好きじゃない」そこなんだと思う。
経済状態や価値観が合わない事を「いかにも、子供のわかがまま」のように理由づけて「しつけ」という言葉を使って諦めさせる。ほんとうに正直に言えばいいのに。そして好みの価値観なんて、押し付けるもんじゃないのに。ま、当の私もそこに気付くのには何年もかかったんだけど。
じゃどうしたらいいか。親の方も「ちょっと待ってね、考えるね」と言い、ゆっくり一緒に対等な立場で考えてみるといい。
子供がどんな気持ちで「買って」と言っているのか。「買ったらダメな子になるのか」「良い使い方を一緒に模索することは出来ないのか」。
今後、どんな世の中になるのか考えて、親の方こそ「ウチでは、こんな目的で使わせよう」と決めて親の責任で買えばいい。
学校や社会が決めたルールじゃなくその家の価値やルールを決めればいい。うまく行かなければまた考えればいい。自分でルールを作っていく、一緒に作って実行する、状況に応じて変えていく。まさにそれこそが、ルールの意味だと思う。それを繰り返すとね、自分の価値観もどんどん良い様に変わってくると思うよ。
エピソード2
エピソード1の前の話になるが、長女は18で免許を取ると言った。彼女は16歳から働いていたので教習所のお金は自分で稼いでいた。免許センターの申し込みには保護者サインが必要だった。なので、サインをして欲しいと申込書を持ってきた。
最初夫婦で大反対した。危ないからだ。人を殺す可能性もある車・・・、危ないからまだダメと言った。高校では禁止だし、と反対した。
でも、彼女は全日制の高校には通っておらず、国は免許取得を認めている年齢。これを反対するのは、どういう意味があるのか?と言われた。
娘の言う通りだ。大嘘をついて親のサインを真似して申し込んでも良いところを彼女はちゃんと説明に来て、しかもお金も準備している。これを反対するのは「危ないから」じゃなくて「彼女の運転を信用していないから」だ。ちょっと賢くなっていた私は気付いてしまった。これは私の問題だ。自分が彼女を信用していないだけじゃなか・・・・。と。
「危ないから」というのであれば免許取得を反対をするのではなくて、安全に運転するという事はどういうことか?を一緒に考えるべきだったのだ。
また、こうも考えた。19なら免許取りに行って良くて17、18じゃダメ。その1年2年て何なんだ。確かに意味がわからない。18で取ったら危険で、19で取ったら安全なのか?おかしい、やっぱりただ反対したいだけなんだ。と、ズルい自分にはっきり気付いた。
大げさだけど、腹をくくるのは私だ。もし万が一、子供が何かしたら、何かとはズバリ人をひくとか、飲酒運転をするとか、そういう事だ。(どんだけ信用していないんて話し。本当に悪い親だ。)で、一緒にその責任を取るつもりがあるかどうか。
「ある」。私が出来る事は、親としての責任を取る事。もうきれいごとの反対はしないと決めていたのに、やっぱり予想外の事が起きたら反対する思考があるんだな、私は。ひさしぶりに、自分の価値観を再確認するきっかけになった。そして、心配していた夫とも話して、免許を取りに行くサインを、した。
さらによくよく考えてみると、それじゃ私の運転は安全か?待てよ、私ったら根拠のない自信を持っているよな、と思った。
一体私は運転をいつまで続けるのか?それを見守るのは、今度は子供の方だ。自分が人を引かない保証などない。むしろ、どんどんリスクは高くなる。親の方が運転が上手と私は今思っていると自覚した。これって危険だ。子供が免許を取って運転経験を積む方がよっぽど安全だ。
子供は年老いた親の責任なんて取らなくていい。危ないと思ったら、運転を辞める前提で運転するのが大人だ。
ああ、やっぱり落ち着いて俯瞰して物事を考えるって大事。とんでもないミスを犯すところだった。と、思った。
子供のプレゼンはいつか聞けなくなる
余談だけど、最近気づいた事。気付けばもう親のお金を当てにしていないので、海外でも買い物でも、仕事でも自分で決めて「行くね~」「やるね~」という報告しか来ない。振り返ると、このプレゼンが聞けるのは、学生の間だけだ。
もしかしたら、いつかお金の相談をしに、頼みに来ることがあるかもしれないが、なんかウチは無いような気がする。それはそうならない様に、小さい時からお金の話をして育てて来たから。既に結婚した長女は、義理の息子が本当にいい人で(自慢)お金を払ってくれることも多くなって、なんだかすごく自分は年を取ったような感じがした。
無理してないかな、お金あるのかな、はいつも心配になるけど、もうそんなのいつまでも心配している場合じゃない。自分らの老後を考えないといけない。騙されたとかお金が無くなったとか、迷惑かけないように気付けばコチラがしっかりしないといけない番になっている。
あんなに偉そうに、させない理由、買わない理由を並べ、喧嘩した時間は一体何の役に立ったのだろうか。反対にコチラの勧める事が、どれだけ子供たちの役に立っているのだろうか。
私が思うのは、結局親が先に死ぬ。または独立して1人で生きる。子供は親が居ない人生の方が長いはずなので、そこを楽しく、困った事も楽しみながらしっかりと生きられるように、その為に今、今日、何が出来るのかを親自身も考えて行動しないといけない。
手を出す事だけが子供の為じゃなくて、苦しい事と嬉しい事は、背中合わせで半分ずつ起きる事を知ってもらう為に何が出来るか考えないといけない。
口が、手が動くうちは、誰かの為に動かせばいい。それが流れ流れて子供のところにたどり着くから。また、そういう世の中であって欲しいから。そうすると、自然療法を伝えるこの仕事にも意味がある。そう私は、静かに整える事が大好きだ。