2種類の「ありがとう」の使い分けー本当のありがとう、とはー
①大人に教わったから言う「ありがとう」
礼儀、マナー。処世術。良くない事を言えば、感謝が心に無くても言う社交辞令的なありがとう。もしも相手が嫌いでも、貰ったモノが気に入らなくても、面倒くさくても、きちんとお礼を言わなきゃいけない時があるけど、そんな時の「ありがとう」。
否定しているわけじゃなくて、そういう種類の御礼の仕方もあって、贈り物が気に入ろうが、気に入らなかろうが、その行為に対して感謝を言う時のありがとう。
「人に何か貰ったら何て言うの」って、子供にいう保護者がいるけど、あげた本人の目の前で、どうしてそんな事言うんだろうって毎回思うのよ。貰ったからありがとうなのか?と。嬉しいからありがとうじゃないのか?と。
「悪い事したら何て言うの?」と、本人が納得していなくてもとりあえず謝らせているのとよく似ている気がして、これって、心のない御礼と謝罪を教えているのでは?と思う事がある。
②心からの「ありがとう」
もう一つのありがとうは思わず出てしまう、うれしかった!を伝える言葉。感謝の気持ち。それ以外何もないありがとう。誰かが自分の時間やお金を割いて、準備してくれたり大変な役を引き受けてくれたり、寄付してくれたり・・・どこかに誰かの苦労が隠れていて、それに感謝して嬉しくて出てくる「ありがとう」
見ればそれはきっとわかるから、嬉しかったんだな、と子供が感じていると思ったらその時こそ「嬉しいね、これこそがありがとうなんだよだね」って教えればいいと思うんだよ。
こんにちは。香川県高松市のアロマセラピスト、アロマスクールを経営しています、高嶋です。
突然ですが、「ありがとう」の種類について、ちょっと語らせて頂けたらと。
目次
言わされた子供のありがとうは、コチラが困る
ありがとうには、ざっくりと2種類がある事を、できれば小さい時から知っておくのが良いのにって、ずっと思っている。
「ありがとう」が言えないと、確かに損する事が多いけど、そもそもありがとうは損得の武器なのか?心ない「ありがとう」は、子供こそ言わされることが多く(大人になって言われないよね)嬉しくも無いのに親の為に言わされている「ありがとう」はよく見かける。なんかさ、これを先に覚えさせられるのって、なんか変。
そして「ありがとう」が言えない子を批判する大人が多い。勝手にコチラが準備したものなのに、なぜ「子供の嬉しい顏と御礼が絶対に付いてくる、感謝を言って貰えるだろう」という前提で渡すのだろうか。私はこれを大人側の欲だと思っている。
私は、相手に何も望まず贈り物をしたい。相手に贈ることで自分が嬉しい、と思える人にしか贈り物をしたくない。ただ、正直な所、自分はまだまだ煩悩だらけの人間だから、とても喜んでくれるだろう良い人にばかり贈り物をする。結局自分が良い気持ちになりたいから贈るのか・・・・と、未熟さを感じている。ただ、それだからこそ「あの子はありがとうも言えない」という大人に会うと「こいつもまだまだ、だな」と思う。
じゃ、貰った側になったとしてどうすればいいのか。子供の様子を確認し、喜んでる・・・貰って「嬉しい」って気持ちが起きてるな、と思えたら「この気持ちこそがありがとうなんだよ」って伝えれば良い。
大人は、小さい子に何か贈り物をするとき「喜んでくれるかな」と色々選んで渡すけど、その子がもし喜ばなくてもそれはそれでいいと思っておくべき。興味がなさそうであれば「あ、私のポイントがずれてたのね~~~」ってただそれだけのことだ。子供が喜ばないと可愛くないなんて、変よ。
でも保護者は言うよね「人から貰ったら何ていうの」って。そこはさ、もし子供が無言でも気まずくなったりしないで親が「ありがとう~」って言えばいいんだと思う。親が「これか・・・」と思うのであれば、子供はそれを感じていると思う。そして「ママも喜んでいない、こんなものにどうして自分が御礼言うの?」って思うはずなんだ。
もう一度言うけど、私は子供に何かあげる時とか、してあげるとき、そこにモヤモヤしている。人に貰ったらありがとうでしょう?という、保護者の言葉にモヤモヤしている。
私の方こそよ、受け取ってくれてありがとう
「ありがとう」と感謝の言葉を期待する以前に、そのプレゼントを選んでいる時間が楽しかった、そんな時間を与えてくれてありがとうって、贈り物が出来るそんな幸せな状況を与えてくれて、受け取ってくれてそれに対して「ありがとう」って、こっちが言うべきなのではないか?と私は思っている。
高嶋、お前はそんな人格者か?とツッコミの声が聞こえてきそうだ。
だけど、やっぱりそう思うのだから仕方なかろう。それだけでもう充分で、相手からの感謝なんて望まない、私はそう思っている。
そのうえで「ありがとう」なんて言われたら「最高かよ!」ってなる。
え?そんなこと思ってないない?としたら、もしかして、本当は面倒だけど、贈らないといけないから送っている?・・・・確かにそういうパターンもあるよね。だから私は最近そういう「当然送って来るだろうと相手が想像していそうな贈り物(母の日、誕生日、記念日)」、どんどんやめてる。そして断っている。たぶんもうほとんどない。
「贈り物を選ぶのが楽しい。相手の顔が浮かんで嬉しい」その気持ちが起きないのであれば「送らなくてもいいんじゃない?」と思っている。送らない事で嫌わても良いとも思っている。だって、贈らなきゃいけない贈り物って、良いものが全く思い浮かばないんだもの。そして、結局ググってるんだもの。体裁の良いものを選んで済ませているんだもの。
ありがとうを言われたくて贈り物をしているんじゃないんだよ。君が可愛いから、君が好きそうなものを見つけたから送りたいんだ。それが伝わって欲しいって心から願う。少なくとも私はそう思って贈り物をしている。
それを際立たせるためにも、そういう社交辞令的な贈り物を辞めている。私が贈り物をする相手はみんな「贈りたくて送っている」。
じゃ、子供にはなんて言えばいいの
子供の年齢にも寄るけど、親がありがとうございますって言えばいいのではないか?と思う。そして〇〇ちゃんにどうぞ、って、選んでくれて、持ってきてくれて嬉しいね、と、伝えれば良いのではないかと。プレゼントを選ぶ時間と、お金を使ってくれた事に、ありがとうと。
その次に「品物が好きであれば」その、ありがとう。本当に嬉しかったら、またありがとう、またこんなの欲しいな、があれば更にありがとう。
もちろん「ありがとう、でもあまり好みじゃないの。だけど、選んでくれて持ってきてくれたことにありがとう」もある。それだっていいんだよ。
いろんなありがとうがあっていい。子供がありがとうを言えない事は悪い事と、子供にいう必要は無くて、親が「ありがとう」の言い方の見本を見せればいい。
心無いありがとう(社交辞令)を言う癖を、小さい時からつけちゃいけない。だって、ありがとうを言えないのは悪い事では無いもの。言えない大人は損をするだけだ。プレゼントが減っていくだけ。だけどそれは自分の選んだことで、全ては自分に帰って来る。ありがとうだけじゃないよ、今選択している事の全ては、全部自分に帰って来る。今あるのは、過去の選択の結果だ。そう、ありがとうだけの話しじゃないんだわ。(それはまた別の話し)
結局そういう負の巡り、、、何をしてもありがとうって言われない、自分の周りは常識のない奴ばかりだという人は、結局その人がありがとうをストップさせているのではないか?と思う。その巡りから抜け出すのは簡単。いったん全部やめてみればいい。何もしなければいい。そして、ありがとうなんて言葉を期待しなければいいんだわ。ひとまず楽になるよ?
親のレベルを計られるから、子供にありがとうと言わせている
結局のところ子供に言わせるありがとうは、子供の為・・・と言いつつ、自分の為よね。他人から「ありがとうも言えない、しつけが出来ない親」と思われるのがイヤなんじゃないか?と自問してみる。何が言いたいか?自分が他人に良く思われたいのではないか?(違ってたらゴメン。私がそうだったからさ。)と、言いたい。
まあ、お利口さんなお子さま(を、お持ちね)と。
子供に「ありがとう」の良さやその大事さを伝えたいなら、「嬉しいと本気で感じた時」に伝えるしかないと思うんだ。どれだけ大事に思われているか、愛されているのか?と。その折に触れて伝えるしか、無い。
その為には、ものを人からもらう機会を得るんじゃなくて、まず自分が「させてくれてありがとう」な場面を、本気で、納得して、何かをしていくしかないと思うんだ。
私は有る時、子供に、人から何を言われても「挨拶もお礼も、言いたくない時は言わなくていい」と言ったことがあるんだ。祖父母、親戚、知り合いに、親の顔の為に「ありがとう」を言わなくてもいい、と。
今は、2人とももう大人なので「とりあえず、ありがとうと連絡入れて」と伝えている。先に述べた①だ。もちろん本人たちの気持ちで②の時だって、ある。私が知らないところで、祖父母、親戚にちゃんと連絡している。本人たちから帰省の際に祖父母の家に行きたい、とか、この間おばあちゃんちに行ってきた、と聞かされると「すごいな」と思う。私は自分から親戚の家に行きたいなんて一度も思ったことがないから。
この年齢になって、やっといとこの家には寄れる様になった。
祖父母、親戚、知り合い・・・・もし、感謝や御礼を言われない、顏も見せないと腹が立つなら、そうなったのは、誰のせいでもなくそれそのものが自分たちの欲のせいじゃないかと思うんだ。
「ありがとう」には二つあってね・・・と合わせて、この一見面倒な思考に気付いて、すごく楽になったんだよ。
そして何よりも、親が日常に「ありがとう」をどれだけ感じて生きているか?だと思うんだ。子供って本当に大人を見ていて「あ、こういう時がありがとうなんだな、こういう言い方でお礼を言うと、相手も嬉しそうだなぁ」ってその繰り返しなんだと思うんだよ。
親が裏表の顔を持っていて、誰かに「ありがとう」って言いつつ、家に帰ってから「本当はこんなもの欲しくなかった」とか「ああ、お返しが大変」と言っていたら、お礼って何なんだ、贈り物って何なんだと思うだろうよ?
うん、面倒くさいよね。でも単純だよ。あげる方は「ありがとう」を期待してあげない。選ばせてくれてありがとうって、こっちが思うだけ。そしてそう思える相手にだけプレゼントすればいいんだ。
そうだよ、子供にしたって「自分は欲しくもないのに勝手に持ってきた大人が面倒くさい」と、思っているかもしれない。
つまり「ありがとう」を言える子にしたいのなら、まずは言えない子供の気持ちを把握する方がいいんじゃないか?と思うんだ。正直この贈り物、どう思う?って聞いてみたらいい(もちろん、それは丁寧に聞かなければいけないが)答えはざっくり割って2つくらいしかない。
①嬉しい。でもありがとうが言えなかった。
②全然嬉しいと思えるものじゃなかった。
これって、大人もそうじゃない?貰ったモノは嬉しいけど、相手が嫌いな人で、ありがとうを言いたくないな相手だっていう時もあるし。②の時、大人は、嘘でもありがとうって言える。
子供に2つのありがとうを説明するなら、嘘をつくのではなく、モノは気に入っていなくても相手が「分けてくれた、買ってくれた、譲ってくれた、私を思い出だしてくれた」というその「自分を想ってくれたという気持ち」に嬉しいっていう気持ちがちょっとでも起きたなら、そこにありがとうで良いって言うかな。
いや~でもあれか、ありがとうを絶対に言いたくない人も居るよね。「自分を想ってくれて、来てくれて、プレゼントしてくれた」って、どう考えても思えない人。よくわからない手土産を持って何時間も自分の話をして帰るとか・・・・。
なのに「ありがとう」とかこっちが言ってるって「むかーーーーっ(-_-メ)」ってなる人いるよね。そういう場合は「ありがとう」なんていわなくていいな!それこそ意志を持って「ありがとうなんて言わない」。
ありがとうにいちいち大袈裟ですか?
長くなったこの話し、面倒ですか?私、どうでもいいことにいちいち気する人と思われがちだけど気にしてきたからこそ、良かったことが多いように思うの。
納得して、面倒な思考をこうしてそぎ落としていくの。
人の愚痴や悩みって聞けば聞くほど「じゃ、伝えればいいじゃん」「やめればいいじゃん」「離れればいいじゃん」てシンプルに思ってしまう。私は嫌なことは相手に伝えるか、スルーするための対策をする、しか思わない。
この細かな感情や言葉の話し、時々「読みました」と言われることがあるので丁寧に書いています。これからもこういう話は書いていきますよ。
「常識だから」「みんなしているから」というが、そこがおかしな事になるんだよ。結局のところ「その選択が未来を作る」「その心掛けが後の環境を作る」「人が言うから、じゃなくて全ては自分の意志で選択したものと自覚し、その責任は自分にある」それだけで動けばいい。
こういう時は、高嶋ならどう思いますか?のリクエスト、いつでもお待ちしています(^^)/