国立ハンセン病療養所大島青松園のこと~今も瀬戸芸作品が見られる~

香川県高松市マンツーマンアロマサロン・スクールAromatico~アロマティコ~高嶋です。今回は、国立ハンセン病療養所大島青松園のことを書きます。2023年6月、少し蒸し暑い曇りの日に、ひとりで行きました。現地では15名ほどの参加者。1人参加のひともいました。

感想としては私の経験の無さ、知識の無さから、打ちのめされたような衝撃的な感情が湧きました。あまり面白い内容ではないかもしれませんが、自分の記録として書きます。インスタでは2023年6月10日に二つ投稿しています。ログインしないと見れないかな、だとしたらゴメン。(リングワングルングその他。)

何故今回投稿したか。8月の広報誌にこの写真が。この場所は・・・・、と記憶と感情が引き戻されたから。6月にここに行くきっかけになったのは、今年買った美術手帳。この時に鴻池氏が高松美術館に来ていたこと、作品が展示されていたこと、瀬戸芸の時に大島に作品があったこと、去年行った静岡美術館にも作品があったこと、色々分かって悔いた。そしたらなんと月一で公開している事が分かって、6月に行った。

6月、大島へ向かう

今年6月に大島に行ってきた。大島といえば香川では庵治町の大島青松園の事を指す。伊豆大島ではない。高松港と庵治から船が出ていて、一般の人は高松港からしか行けない。大島は、国立ハンセン病療養所がある島。もちろん今も住人がいる。人口は37人。平均年齢約85ー6歳。

私が大島に行こうと思ったのは、月に1度だけ今も大島で瀬戸芸の作品を見られる機会がある事が分かったから。(2022年秋に瀬戸芸は終了)ハンセン病療養所の島へ行くというよりも、瀬戸芸の・・・いや「鴻池朋子さんの作品、リングワングルング、そして逃走階段を見たい。」その欲で行った。逃走階段はこの公開日の、決まった時間、小エビ隊の案内でないと行けない。

もちろん、作品の紹介から、この作品を含めて展示されている者がハンセン病の歴史と切っても切れない繋がりがある事は分かっていた(つもりだった)。例えば知覧の平和博物館、広島の平和記念館、古いハーブ園でも戦争で色んな事があった、あちこち行くたびに見ていてその都度グッとくるものはあって、自分の薄さを告白するみたいで言いにくいけれど、それを見る時の感情に「慣れて」いたつもりだった。きっと今回もグッと来てしまうだろうな・・・・と。

この大島へは、高松港から行く。事前の案内から船乗り場はチェックしていた、が、チケット売場で「大島行き」を探すも無い。係の人に聞くと「あそこに停まっている船がそう。あそこで聞いてみて」との事。
今日は、月に一度の公開日だから、船の前にはそれらしきの何人かがいた。係の人に聞くと「運賃は無料」との事で、最初の衝撃。そうか、乗る船はハンセン病診療所。行くのは国の所有の船。他のフェリーと意味が違うのか。

また船に乗る際には「マスク着用でお願いしたいのですが、お持ちでしょうか?」と、ものすごく丁寧に聞かれた。(5月に自由化)私は、普段はしない派だけど、もちろん着用した。職員に言われたからじゃない。今から行く島のルールだからだ。

船の中はみんな神妙な面持ちで誰もしゃべらず。(ある、おっさんだけがノーマスクで名刺交換とお喋り弾む光景が目立った。)ああ、私は今から何を感じるんだろうと若干心配になる。そして今から私はセトゲーの島ではなく、大島に行くんだと思った。

隣の女性は、大島の資料をずっと読んでいて、この方は大島にいくという気持ちで行くんだなと思った。(そしておっさん、いい加減黙れとイラつき始める。私だけなのか?イラついているのは。みんな天使なのか?と思った。)

船の中では、いくつかの注意事項が。そしておっさんは、やっとセトゲーの若い女性(小エビ隊)の方に「あの、マスク着用なんで・・・」と言われ、マスクをして黙った。一緒に喋っていた若者は、目の前のおっさんが偉い人だからなのか、言えなかったんだろうね。まさか”気付かなかった、何とも思っていなかった”なんてことがあったら怒るよ。小エビ女子、若いのに素晴らしいよ。

大島に到着。小えび隊の方の説明に衝撃を受ける。

到着後、県の職員さんの話し。小エビ隊の女性の話し、そしてリングワングルング、逃避階段へ行く際の注意。そうか、ここは県が管理をしていたのか。

ここからは、小エビ隊の方の案内で30分ほど島内を巡る。ずっとやさしい音楽が流れているが、これは目が見えない島の方の為。ゾーンにより音楽が違う。要は生活に必要なもので、観光用のBGMではないということ。

見学で来た人は島のアッチは入ってはいけない。島のコッチに作品や、”いろんな場所”がある。ただ、もちろんコッチ側に住人の方が来ることは、ある。

説明は続く。こんな歴史があった、いろんな宗教があって、その祈る場所がこのエリア。この納骨堂にはたくさんの方が眠っておられ、亡くなった連絡をしても遺骨を引き取っても貰えなかったそうだ。療養所、じゃなくて強制収容所だと思った。逃げたかった人の事、逃げたとて戻る場所なんて無かったこと。

短い時間だったけど、彼女の説明と表情から、行間にある内容はとんでもなく、とんでもない、想像する以上の内容があるんだろうと想像した。きっと彼女はたくさん勉強して、話をきいて、感じて、たくさん考えて、自分の言葉でしゃべっている。だからこんなに響くんだろうと思った。

小えびの彼女が(たぶん)一番ツライと言って、涙をこらえて話てくれた場所は「解剖台」。これは浜辺に埋められていたそう。今は展示してあり目の前で見る事が出来る。衝撃だ。これは私の母くらいの、わずか1代前の話し。石の?コンクリの?解剖台。入所の際には、遺体の解剖を承諾する書類に署名を求められたそうだ。この上で。そのカタチや穴が、生々しい。これを砂に埋めたのか・・・。

この場所(大島)に、どうして作品を作ったのか?という疑問

ところでこういう島になぜ瀬戸芸なのか。だんだんそこに疑問が出てくる。そしてSNSにアップしていいのかも迷った。そう思いながら皆で島をまわり女性の説明を聞き続けていたら、そしたら、分かったんだ。どうして瀬戸芸だったのか。この瀬戸芸を始める時に必ず会場にしようと決まっていた島は、産廃の島「豊島」そしてこの「大島」だったそうだ。

自分が生きている時にこういう事が起きていたけど、私は知らなかった。約30年弱前に高松に来た時も、テレビで見た時も、今も生きて住んでいる方がいるんだ、そう思うだけ。産廃問題が大変そうだ、そう思うだけ。

それが今や豊島は芸術の島になり、大島は平均年齢85歳とすれば、もう間もなく人は通わなくなる。そうなれば忘れ去られる。それはダメだ、来て見て知ってもらおう、この事実を覚えておいて欲しいというメッセージなわけだ。

それに賛同した芸術家たちは、ここに来て作品を作っていた。仲間と。現地の人と。ボランティアの人と。私はそれを全然知らなかった。終わってから「見に行っていなかった」と思って来た薄情者、ちゃらい人だ。そう思った。こう書く事で、自分を下げる事で、何かきれいに纏めようとしているのか?そんなことすら思う。

電話ボックス。最近は知らない子もいるだろうな。

ここの松林、とてもきれい。砂浜もきれいにお掃除されていいて、きれい。

そして私に出来る事は?失敗は次の失敗をしない為にある事を知っている芸術家は動いた。次はそれを観た人だよね。

そんな薄情な私には何も出来ないけれど、この島に来たら否応なしにこの歴史を知る事になる。そして衝撃を受ける。それは事実。ならばそんなチャラい思考の私が出来る事はSNSの発信。ハンセン病がどうだとか、青松園がどんなだとか、語るほど知らない私でも発信して人を連れてくることは出来るかもしれない。

「鴻池朋子の作品を見たい」から始まって、とんでもない気持ちになってきてしまった。まだ、リングワングルングにたどり着いてもいないのに、この泣きそうな気持はどうしたらいいんだ?と思いながら作品を見て回る。なんで泣きそうなのかは分かっている。

「もしこれが、自分の子だったら私はどうしていたんだろう」
みんながしたように、隠したのか?無かったことにしたのか?怖くてそれ以上考えられなかった。

「もし私が入所していたら、正気を保っていただろうか」
リングワングルングを好きな人と、手をつないで人目を忍びつつドキドキしながら歩いていたのか?それとも・・・・?やっぱり怖くて考えるのをやめた。

ああ、もう思考が追い付かない。

けれど、この島には、植物があって小さいながら山があって、きれいな海があった。それだけは「きれいやな」「きもちがいいな」と思えた。今もこの島のアッチには人が住んでいる。平均年齢は85歳を超え、この方たちが亡くなれば、誰も居なくなる。その時には「昔あった事」で終わるのか。いやもしかして既に「昔あった事」になってるよね?と思った。知らない、はそういう事だ。


芸術というツールに引き寄せられ、ここに来た事は偶然じゃあ無い。自然が好きで現代アートが好きで旅が好きだったおかげで、ここに来た。そしてもし私が、薄っぺらいながらも「この島に来て知って欲しい」という人たちの役に立つなら私のこの好きを極めていくことは無駄じゃなかったのかもしれないと思える。いやそう思いたいんだろうな。

立派な芸術家がここに来て作品を作り発信をして人を集めた。そんな事は、やっぱり私には出来ない。だけど来ること、知る事、感じて考える事までは出来た。これは資料を見て思うより、動画を観たりSNSを見て感じるより、何倍も衝撃が違う。

百聞は一見に如かず。五感で感じて、記憶することがどれだけ大事かを生徒さんにはよく話す。植物園でも、精油でも、本で見るにしても一度は本物を見て嗅いで欲しいと。

何を達観したわけじゃないけれど、経験しか勝たん、と思う私は、色々経験したと話す人に、経験して今はそれをどうしてる?と話しを聞く。何かに繋がったか?と。もちろんこんな嫌な質問は、誰にでもは出来ない。心の広そうな、優しそうな、本当に経験の多いなぁと思える人に聞く。

もういい歳なので、経験だけで済ませたくない。これを見て、何をしようか。

人生の先が今までの人生より短いであろう私は、最後に走り切りたい。泣き笑いした事全部に意味を持たせたい。社会貢献=仕事と思う私はそれを全うして死にたいと思っている。

若いうちは経験が大事。だけど、もうこの年齢だ。ただ見た、楽しかった、というのは息抜き、レジャー、バカンス。誰かにこれを説明する必要もない。

結局のところ経験は、社会貢献になって初めて、経験が役に立ったと言えるんだと私の中では思っている。自己満足じゃなく、社会的な意味を持つという意味で。

それはマウントを取るんでもなく、羨ましがられるんでもなく、誰かがくじけそうなときや困った時に「それもありなのか」と、見てもらえる、とどまってもらえる、そんな意味を持てれば私の経験は初めて意味を持つんだと思う。(自身の身を守るのも経験かもだけど、それはまた別の話し。)

私の大事な子供の世代に何を残せるのか。

色んな人、会社が、良かれと思って色んなものを残すけれど、私は形じゃなくて何かやさしいふんわりしたものを残したいと思っている。平和を願うなら戦争が無い時代を!と拳を突き上げるのではなくて、もっといい方法を。

それは私が人生で経験したこと。私は経験して知っている。

拳は、愛を生まない。拳は武器以外のなにものでもない。

私は行きの船の中のおっさんらに怒りを感じた。肩書はえらいんだろうよ?それは周りの態度でわかる。だけどいい年して、どうしてそういう行動が出来るのか?今から行く場所がどんな場所か知らないわけでも無かろうに、船の中の客が何の目的で乗っているのか分からんわけでも無かろうに、セトゲーTシャツを嬉しそうに着て(かどうかは分からないけど)名刺交換、いきった話し、大きな声、そして目上のおっさんに注意できないIDカード下げた若者職員。こんなスパイラルを目の当たりにして「こういう人がこういう島を作ってきたんじゃね?」とすら思える。(だんだん口が暴走してる。誰か止めて。)

立派な大人の定義が何なのかは分からないけれど、今の幸せな自分が、頑張って人生を生きた人の涙や苦労のおかげであるならば、きれいごとかもしれないけど、ろくな苦労も怖さも知らない癖に言うけれど、それでも苦労は死ぬまでした方が良いんだと思う。そう考えると、こんな怒りや自分を振り返る機会をくれたああいうおっさんグループは、悪ではないな。うん、意味があるな。時々会うと、自分にムチをいれられるよね。

私の子供らは今はもうこちら側に居る。一緒に次世代につないでいく方にいる。仲間だ。いつまでも守りたいものでもあるが、守るという意味合いが変わっている。何かあれば這いずり回ってでも守りに行きたいと思う。

でも、きっともうそれは次の誰かに任せるべきもので、私は心の中で守るものになればいい。もう体を張って守る時期は終わった。守ろうと無理をすれば彼女たちが心配をする。

だからだ、だからこそ、遠い子供だけじゃなくて今目の前にある弱いもの、守るべきものを見つけて伝える事をしないといけないと思う。近いものを丁寧に大事にすることで、それが結局遠くにいる子供に繋がると思っている。


ここで「可哀そうだったなぁ」と涙を流しても、きっと私は家に帰れば忘れて、普通に暮らすんだよね。きれいごとじゃなくて仕方ない。でも、さすがに心にプツッと何かは残るよ。私も、子供を泣きながら追いかけた時がある。でも、このお母さんよりずっといい、だって、私は国を相手に戦わないで良かったから。どうにかする手段がいくつもあるって、選択が残されているってさ、幸せよ。

リングワングルングと逃避階段

もう、話が長いから終わりにしないと。大島で昔々昭和8年くらいに、療養所の若い人が、デートの為に作った「リングワングルング」。それを今鴻池朋子さんが、瀬戸芸をきっかけにリメイクした。そこに世界中の人が足を運び発信する。このリングワングルングは、人が踏み込まなければまた樹木や草が伸びて歩けなくなる。

そして、その先の崖を降りるように作られた逃避階段。色んな意味の逃避だ。ものすごい階段で、荷物は置いて行かないと降りられない。降りればきれいな砂浜。これは見に行った人にしか分からない。そして参加者はそれぞれ何かを感じて持ち帰る。



私が感じた事。鴻池さんが「作るのは作った。ごめんだけど、後は任せた!」そんな言葉を感じた。これは無責任ということじゃなくて、役割の話し。私はこの作品は作れない。でも草を踏みしめる事は出来た。そして誰かに踏んでもらいに行くお願いは出来るかもしれない。(私の個人的意見です)


今日も長い話を聞いてくれてありがとうね。じゃ、またね。

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